患者であること 医学生であること 女性であること

今日は病気について書こうと思います。

私が4年ほど前に診断されて、これからもずっと付き合っていくであろう病気のこと。

 

 

一人の患者として病気のことをもっとたくさんの人に知ってもらいたい。

こんな病気もあるのか!とか、

自分と一緒の病気だ!とか、

自分も病気があって同じような思いをしたことある!とか。

なにかを感じてもらえればよくて、

かわいそうに、病気になっちゃって。

っていう風にこの記事に同情してもらうのが目的ではありません。

 

 

また、医学生として、患者の気持ちに寄り添える人間になるために、

いつも考えていること。

医療従事者や将来医療現場に関わる人たちに読んでもらいたいことがあります。

 

そして女性であることで、抱える悩みもあります。

 

 

視力が低い人、うつ病の人、虫歯のある人、耳が不自由な人、貧血の人、腰痛や頭痛持ちの人、・・・

みんなそれぞれいろんな不自由や病気を抱えて生きていますね。

 

 

メガネをかけている人、少し神経質な人、歯を磨くのが苦手な人(それだけの理由で虫歯ができたのではないけれど)、補聴器をつけてる人、朝起きるのが辛い人、湿布を貼りながら毎日がんぱってる人、雨の日は頭がいたくて憂鬱な人・・・病気って個人にとっていろいろな解釈ができます。

これって、個性でもあると思うんですよね。

同じ病気にかかっても、個人個人によっての”病気”は意味がいろいろです。

 

だから、私は、私にとっての病をここに書きたいと思います。

私の病気はITP。日本語では特発性血小板減少性紫斑病。

自分の体にあって、本来は病原体を退治すべき戦隊が自分の体を攻撃してしまうことによって起こる病気(自己免疫疾患)の一つです。

血液の中の、血小板という出血を止めるのに必要なもの数が減ってしまいます。

少なくなりすぎると、出血傾向が現れます。最悪の場合、脳出血で死に至ることもあります。薬や、輸血や、脾臓摘出などの治療法、対症療法があります。

 

治療方法が確立されていないため、国からの経済的サポートを受けられる特定疾患、俗にいう難病。

一ヶ月の医療費がある一定以上(これは世帯の収入によります)を越えると国から医療費がカバーされます。

私の場合、現在は2ヶ月に1回の血液検査のみで、薬の服薬はありません。

薬の副作用を避けたいので、できたらこのまま数値が安定して薬なしでいけたらいいな、と思っています。

しかし、今後何が起こるかはわかりませんし、緊急時の治療のための医療費は莫大なものになりかねないので、この制度はとても心強いものです。 

ただ、申請は面倒で、更新は毎年必要で、揃える書類もたくさんあり楽ではない作業です。

 

 

 

この4年間、不安になることがたくさんありました。

病気を診断されたとき。その時私はイギリスの大学に在学中でした。

海外で診察を受けるのは何がというわけではないのですが、やはり不安でした。ふだんはのんびりな笑、NHSができるだけ早く病院に戻ってきて再検査を受けて欲しい、と電話してきたときは、重大な病気なのではないかととても怖くなりました。

 

初めて骨髄穿刺を受けたとき。太いドリルのようなもので腰の骨をグリグリと刺されて、痛くて怖かったです。

 

親知らずの抜歯で入院したとき。ただの抜歯なのに8日間も入院しなければいけなくて。病気がなければ2泊くらいで終わるはずなのに医療費を倍以上に使ってしまったことが悔しかったです。

 

医師になりたいと思って受験を決めたとき。病気なのに医者を目指していいのかな、って考えました。病気の学生より、健康な学生が欲しいんじゃないかな、とか。

 

そして現在も下がり続ける血小板。将来、もっと下がって薬が必要になったら、副作用がでるな・・・とか、子ども産むのも大変だな・・・とか、風邪ひいたら下がっちゃうから風邪ひかないようにしなくちゃ・・・とか。将来のいろいろなことに関して、病気は切っても切り離せないものです。

 

医学生なのに、大学の付属病院に診てもらっているというのも、こんな医学生でごめんなさいって思って悲しくなるときがあります。不健康な医学生でごめんなさい、とどうしても思ってしまいます。病気になるまでできていた献血も、もうできません。たまに、どうしようもなく自分が厄介者にしか思えなくなる。これが、もっともっと周りの人のサポートを必要とする病気だったら、と思うと胸が苦しくなります。

このような悲しく辛い思いをされている人がたくさんいるであろうことは、容易に想像できることです。

 

 

でも、病気になったことで感じたことは不安や絶望ばかりではありません。

自分が患者になったことで、医療の大切さ、こんな医師や看護師がいてほしいという患者目線からの医療者の理想像、侵襲のある検査を受けてるときの不安、家族の存在のありがたさ、健康でいられるということが奇跡だということ、日々治療法開発のために研究に明け暮れる人たちがいること、その心強さ・・・わかったことがたくさんありました。

医師になったら、患者の不安を少しでも和らげたい。

役に立たない、厄介者だと自分を責める人たちを、少しでも楽にできたらいいな。

そう思います。

 

 

私にとって病気は隠すべきものではありません。

近い存在の人、いつも時間を共にする人たちには、知ってもらっていた方がいいと思うのです。

不安を共有するために私は家族のそばにいる。

笑顔のときや、悲しいときに気持ちに寄り添うために友達のそばにいる。

私がそう思うように、私の大切な人たちも思っているはずです。

自分が相手にこうしたいって思うことを、相手にもさせてあげることも愛ではないでしょうか。

心配させるからといって隠すのは、おかしいと思います。

例えば、片方の耳が不自由な友達がいて、それを知っているから話すときはいつもその反対の耳の方で話せます。言わないでいてもらったら、聞き辛いのに気づかずに反対側を歩きながら話してしまうかもしれない。

 

知ってもらうということは、身体のためにも必要なことです。

私は、家族や友達にできたら献血に行って欲しいと思うし、病院や薬局でもITPであることを積極的に伝え、薬の副作用などで血小板がさらに下がることがないようにしています。知ってもらうことで、自分を守れるなら、そうすべきです。

もしも友達が何かの病気を抱えていて、病態が急変したら。その子の病気を医師に伝えることができたら、対応がスムーズにいくと思います。

 

病気と向き合って、一生付き合っていこうと決意して、でも自分の描いてきた未来はそのまま実現できるようにして、さらに病気に苦しむ人たちのために何かをできたら、私は本当の意味で自分の目指す医療者になれる気がします。

 

 

道のりは長いけれど、頑張るぞ!